2010年5月11日火曜日

ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン / ジェリー・リー・ルイス


ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン

<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>は、ロックンロールの歴史に燦然と輝く金字塔、ただの金字塔ではない。いつまでも燃え続ける金字塔だ。

ジェリー・リー・ルイスは「ザ・キラー」(The Killer)と呼ばれていた。

ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)は、1935年9月29日、アメリカ合衆国ルイジアナ州フェリディで誕生した。
1957年、<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン><火の玉ロック>のヒットで一躍スターダムにのし上がった。ロックンロール黄金時代の旗手のひとりだ。

立ったままピアノを弾くというより叩きながら歌う、さらにピアノに油と火を放って燃やす、破壊的でワイルドなスタイルとパフォーマンスが衝撃的だった。

 ジェリー・リー・ルイスはエルヴィス・プレスリーがそのキャリアをスタートさせたテネシー州メンフィスのサン・レコードからデビューした。エルヴィスから遅れること2年、1956年のことだった。

 サン・レコードのオーナー、サム・フィリップスとジェリー・リー・ルイスの出会いは、1956年9月。すでにRCAに移籍したエルヴィス・プレスリーが世界を席巻していた。ジェリー・リー・ルイスはメンフィスに行き、オーディションを受ける。サム・フィリップスはいなかったが、代わってエンジニアのジャック・クレメントが演奏を聴いた。もう少し学べば更に良くなるとアドバイスする。

その年の11月14日、”Jerry Lee Lewis And His Pumping Piano”のバンド名で最初のレコード<クレイジーアームス>をリリースした。さらに1957年3月1日、ワン・テイクで録音した<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>を2枚目のシングルとしてリリース。TV「スティーヴ・アレン・ショー」で初めてそのスタイルが全米に届き、全米3位の大ヒットとなった。3枚目のシングルが<火の玉ロック>だ。



<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>は、危険なものを安全にして見せたという点で最高のものだ。決して安全ではなかったが、人々はそう感じた。

「歌っていると勝手に身体が動くんだ」とエルヴィス・プレスリは言った。それは「危害を加えないし、気が狂っているわけでもない」という意味だ。

今度はジェリー・リー・ルイスが、ピアノを壊し、燃やしながら、「演技じゃない、音楽のせいだ」と言ったのだ。誰が信じるだろう?信じたとしたら、信じる側が危険な存在だと思われかねない。

こうして彼らは権威を壊し、その核心に思想より感覚で切り込んでいった。危険人物でなかったが、危険であることは明らかだった。プラトニックな不倫のようだ。さっきまでなにもなく酒を飲んでいた男の横を女が通り抜けた。その瞬間、磁気が心身を貫き、男は別人になった。その女は生涯のひとになった。そんな音楽がある。<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>は数少ない燃え続ける言霊だ。意味なんかない。意味がなくてもかけがえのないものがある。意味は自分にある。

「オレが一番とは思わないさ。でも最高なんだ。」(ジェリー・リー・ルイス)
その通りだ。<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>を聴けば誰だって、そう思う。



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